(未読のかたは、その1・その2・その3・その4をよんでからもどってきてください。)
YouTubeにあがっている「絵本の動画」
それが面出ししている「読み聞かせ」ならいいのですが、絵本を机などにおいて真上に固定したカメラでとらえた動画はいただけません。
これは文字どおり「動画」であって「読み聞かせ」ではありません。
とはいえ、YouTubeにたすけられている、おかあさんやおとうさんはたくさんいるはずです。
スマホやタブレットの動画は、おとなが「かまえない時間」に子どもがひとりですごす方法として完全に認知されています。
それを「わるい」というひともいるでしょう。
絵本は動画ではなく「じっさいに子どもとむかいあってよむべきだ」というひともいるでしょう。
はたしてどうでしょうか?
育児の「ワンオペ」が問題になる時代に、それを正当性のある意見と本気でいえるでしょうか?
議論するつもりはありませんが「テレビはいいの?」「兄弟がいたらいいのに…」「木のおもちゃにかぎる!」みたいにそれぞれの主張は平行線をたどるだけでないでしょうか?
そもそも、おかあさんやおとうさんが、育児をなまけたくてスマホやタブレットにたよっているのでしょうか?
未就学児、未就園児がひとりでスマホやタブレットにじっとみている場になんどかいあわせましたが、そのときのおかあさんは仕事中であり手がはなせない状況でした。
くわえていえば、そのおかあさんがたはじぶんの知人であり、いずれも「絵本がだいすきなひと」であることをしっています。
このように、おとなが子どもをみられない時間に限定すれば、子どもがスマホやタブレットですごすことは、個人的には賛成です。
ただ、そのときに、もしも卓上に絵本をおいて、真上から固定したカメラで撮影したような「絵本の動画」をみているのであれば、それはちょっとかんがえてほしいです。
いちど再生したら、おわりまでそのまま。
モニターでみる絵本であっても「本であること」をもうすこしかんじてほしいです。
そういう意味では、その2・その3にかいた絵本ナビプレミアムforスゴ得は、じふんの手で、じぶんのタイミングでページをめくれるので「本であること」をおもいださせてくれるでしょう。
このプログラムには残念ながら音声は収録されていませんが、もしもページごとに読み聞かせの音声がつけば、おとなが「かまえない時間」に子どもがひとりですごすための「デジタルの絵本」として、とてもすぐれているとかんがえています。
つけくわえると、たとえ「デジタルの絵本」であっても、子どもにとってかけがいのない1冊がきっとみつかるはずですから、そのときはあらためて「紙の絵本」を購入して、その子にとって世界に1冊の「じぶんの絵本」にしてほしいです。
絵本のデジタル化。
既刊絵本でもデジタル化にむいているもの、そうでないもの。画面のトリミングやときには構成に手をくわえたほうがいいときもあるとおもいますが、著者と出版社の協力のもとに、ていねいにすすめていってほしいです。
おとなが「かまえない時間」に子どもがひとりですごすための手段としては、とても可能性をかんじます。
また、おとなにとっても「デジタルの絵本」が「紙の絵本」をえらぶための選択手段としてなら、とても有効だと思います。
じぶんの才能ではむずかしそうですが、すぐれた絵本作家であれば、こんかいこの記事の発端である東村アキコのマンガのように、さいしょからデジタル前提のすばらしい作品ができるのではないでしょうか。
(その2のさいごにかきましたが、デジタルのみで発表の絵本サイトや専用アプリもありますが、残念ながらそのクオリティは現状では既刊のデジタル化にとおくおよばない気がします。)
そして、はじまりが「デジタルの絵本」であっても、評判が評判をよび「紙の絵本」となって出版されるときがくるかもしれませんし、ほぼそれと同義のことがすでにオンデマンド印刷でおこなわれています。
いかがでしょうか?
うまいことまとめられず、ただながいだけの記事になってしまいましたが、絵本のデジタル化についてまじめにかんがえ......

ました!!!
おしまい。
追記/あらためて全回をよみかえしたら、まあひどい書きっぱなしぶりでびっくりしましたが、それもこみでのオレなのでこのままにしておきます......