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2016年12月26日

だんじりの町〜岸和田で絵本ライブ&ことばあそび教室/その5. がっちょがなくてがちょーんな朝

はい。12月9日のことばあそび教室終了後は、図書館長さんに岸和田の町をはやまわりで案内してもらって、岸和田駅前のホテルにチェックイン。

そのあとは、すぐそばのお店で懇親会となったのですが、そのときの話題がレポート1の昌広さんのさかなネタレポート2の景さんのまつりネタというわけです。

そして翌日。12月10日は絵本ライブとなるわけですが、そのまえに前日に岸和田図書館長に案内してもらった町を逆まわりで。

mk_161210_1045_kishiwada_st_asa.jpg

駅を背にして、商店街をあるいていったのは、昌広さんがたべたかった「がっちょのからあげ」をさがすためですが、さすがに10時まえではほとんどのお店は準備中。

ちなみに「がっちょ」は、岸和田のさかなネタにかかせない存在なのですが、こんかいはあえなかったので、気になるかたはこのへんのがっちょをみてください。

がっちょのかわりに、こんなところで〜



記念撮影をしてみたり。

すでに、レポート2で登場しているで景さんが祭り魂をみせた岸和田だんじり会館では滞在時間30分で〜

mk_161209_1051_kishiwadajo.jpg

岸和田城のお堀と石垣のあいだには、遊歩道のごとく緑地が?

ここで「おやおや?」と、おもったかたは城マニアでしょうか。

お堀+石垣が敵からの侵入をふせぐためにあるのは、城マニアでなくても衆知のこと。

でも、そのあいだに緑地があっては、そこを足がかりとして侵入がしやすくなってしまいます。

なぜ岸和田城にはこのような緑地が?

なんでもこの城の石垣はとてももろく、修復しやすいようにわざわざ設けられているそうです。

なんという矛盾!

おもしろい歴史!

なーんてことは、もちろん前日に案内してくださった図書館長の受けうりであって……

レポートはいよいよ絵本ライブ編に。

つづく〜〜〜



posted by オフィスまけ at 08:00| Comment(5) | TrackBack(0) | イベント・講座かんけい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
誤って転落しても、怪我したり溺れたりしないよう。

または、踏み台つき石垣。まあ、空堀というのも一般的ですからね。
Posted by (に) at 2016年12月26日 11:10


>(に)さん
>
>誤って転落しても、怪我したり溺れたりしないよう。
>または、踏み台つき石垣。まあ、空堀というのも一般的ですからね

そうなんですか!
お城のことなんにもわかりません… ^ ^ ;

Posted by オフィスまけ at 2016年12月26日 18:58
いえ、それは本当じゃないですが、確かに、大阪城とかの水の溜まった濠のお城だと、ボートから登って補修していたりするので、しょっちゅうなら、ちゃんと足場がある方がよいのですよね。実戦で攻撃を受けることも、多分、ないでしょうし。

からほりは、この前、大河の真田丸の冬の陣のシーンでも出ていましたが、塹壕みたいな。でも、秀吉がつくった大阪城のための空堀。いまも知名に残っていて、南北に堀のあとが残ってますが、すごい広い堀で高さもすごかったんだろうなと思えました。ちょうど、空堀の人にチャイの淹れ方を教えてもらいに行ったのです。

Posted by (に) at 2016年12月27日 10:26


>(に)さん
>
>いえ、それは本当じゃないですが、
え? 信じましたよ…
歴史関係。かなりうといです…
Posted by オフィスまけ at 2016年12月27日 21:43
高低差という言葉が、ブラタモリ・ファンの間では(だけじゃないかも)メジャーですが、崖とか。。

大阪市内、環状線を使って通勤するのは、3度目?になるのです。朝夕に行き来すると分かるのは、その「平坦さ」です。東京は坂の多い街というイメージで、違うところですね。

そんな中、大阪城から南にのびて、四天王寺の辺りまでをいう「上町台地」というのは、高低差のある場所です。大坂城以前の大坂の様子、地図をみると、「えっ?」ってなりますよ。上町台地以外、海なので。

現在の大阪城辺りまで深く入り込んだ湾と、淀川下流には大きな池があって、半島状に台地が伸びている。城マニアにとっては、天然の要害ですね。で、実は今の大阪、まず江戸時代に大和川、そして明治になって淀川と、二つの人工河川ができて、ようやく定まったと聞くと、新鮮です。

私の住む尼崎の南部も、陸地がどんどん堆積で海に進出して出来上がった場所ですしね。尼崎は北から南へですが、堺市も東から西へ陸地が進出してるので、実は、伝・仁徳陵も当時はもっと海に近かったのですよね。と、歴史好きの独り言でした(笑)。


Posted by (に) at 2016年12月28日 11:09
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